過去の開催結果

「日本の景観を良くする国民運動推進会議」2006年 全国大会
パネルディスカッション

  パネルディスカッションは、コーデディネーターに西村幸夫氏(東京大学教授)を、パネリストに川端五兵衞氏(近江八幡市長)、大原謙一郎氏(財団法人大原 美術館理事長、倉敷商工会議所会頭)、浜美枝氏(女優、農政ジャーナリスト)、セーラ・マリ・カミングス氏(株式会社桝一市村酒造場取締役)をお招きし、「魅力あるふるさとづくり」をテーマに語っていただきました。
 まず、本年度の都市景観大賞「美しいまちなみ大賞」を受賞された近江八幡市の川端五兵衞市長より、八幡堀の再生に至る熱意ある活動と苦労話が披露されました。
 続いて、大原美術館理事長で倉敷商工会議所会頭を務められる大原謙一郎氏より、地方人の視点からの美しい景観を持ったまちづくりについてお話をいただきました。
次に、女優であり農政ジャーナリストでもあり「美の里づくりコンクール」の審査委員でもある浜美枝氏より、全国各地を歩きまわって感じられた美しい国づくりへの熱い想いを語っていただきました。
 そして、(株)桝一市村酒造場取締役のセーラ・マリ・カミングス氏より、皆が一丸となって現場に入り汗をかけば日本は変わる、と元気づけられるお話をいただきました。
 最後に、コーディネーターの西村幸夫氏より、この大会が日本の景観を良くするための出発点であり、次の世代に伝えていくために、それぞれの現場で考え共 有し合いながら、夢を語れるようにしていきましょう、と締めの言葉をいただき、第一回「日本の景観を良くする国民運動推進会議」は盛大な拍手のなか幕を閉 じました。

西村
 風景には色々な想いがあって、その想いとそこにある物語をきちんと知ることが大事だと思います。単に綺麗なモノを見てキレイキレイと愛でるだけではな い。受賞された様々な地域も物語の中からできてきてそれが育っているところが表彰されている。今日は 4人のパネリストの方にそれぞれのフィールドでのお話を紹介してもらって、単に日本にもこういう風に綺麗なところがあるというだけでなくて、その裏にどういう物語があってどういう工夫がなされてきたのかということを私の方からも訊ねさせていただいてディスカッションを深めていきたいと思います。

西村幸夫氏(東京大学教授)
写真

川端五兵衞氏(近江八幡市長)
写真

〈八幡堀の埋立事業から一転復元事業へ〉

  近江八幡のまちづくりは、城下町の掘割を保存・修景しようということから始まりました。この掘割・八幡堀はかつての舟運の動脈として使われていたわけですが、モータリゼーションの普及により水運が廃れ、昭和 40年代にはヘドロで埋まって来ました。臭くて黒くてハエが出てたまったものじゃない、公害であると住民達が行政へ訴え、国は埋め立てることを決めました。汚い堀を埋めて、駐車場や道路、公園にするというので住民のほとんどは歓迎していました。
 この話を聞いて私は、堀が汚いから堀を埋めるという考え方はいけませんよ、と青年会議所の先頭に立って反対運動を始めました。そもそも、その堀を汚した のは誰なんだ?「汚れた」んじゃなくて「汚した」んでしょ。「汚した」から埋め立てるというのはおかしい。

そ して堀を埋めて後悔するのは自分たちです。私は堀を埋めた瞬間から後悔が始まると目に見えていたので、将来のことを思い「死に甲斐のある町」、死ぬ間際に なって「あぁこんなくだらない町で死ぬのはいやだ。しまったことをした。俺の人生どうだった」など思わないように、死ぬ前にせめて「まぁ、いいか」と言えるような町を造りたい。そのような町にするためには、我々が堀を汚したんだという気持ちがなければ「死に甲斐のある町」なんてできないと思って堀を埋める ことに歓迎していた住民を説得していきました写真
 しかしながら、昭和 48 年、 49 年に国の予算が着々と入ってきて、真ん中に水路を残して 200mぐらいまで埋立工事が完了してきました。どんどん追い詰められるようになってきました。それでもあきらめず、国や県や市がやるような仕事を我々青年会議 所がやり、修景保存計画などをつくり、県にお願いに行きました。初めは総スカンを食いましたが、そのうち我々の考えに賛同したのか、県の土木事務所長が突然「予算を返上しよう!」と言われました。それから県知事に会い、今度は修景保存の予算を得るために河川局長に会い、懸命に訴えた結果、全部やり直すということに決まり、翌昭和 51 年からその工事が始まりました。

 

西村
 当時国へ行かれたのは青年会議所の立場で行かれたんですね?

国の河川局長のところへ全く民間の立場で行って、予算つけて来いと言われて行って予算を獲得して来る。素晴らしいことをやられたんですね。この美しい八幡堀の写真の背景にはそういう物語があるわけですね。単に環境整備事業などで、キレイにしようとして着々とうまくいったというわけではないですね。その目で この写真を見ると本当に素晴らしいことだとお思いになるでしょう。これはやっぱり近江八幡の素晴らしさですね。


 次は大原さんのお話をお願いします。

 

大原謙一郎氏
(財団法人大原美術館理事長、倉敷商工会議所会頭)

写真

〈美しい景観は美しい生活によって守られる、我慢も要る〉

  以前、「日本人の美しい心のふるさとの景観を守ろう」という話がありまして、それはちょっと違うんじゃないかと申し上げたことがあります。それは日本人の心のふるさとというより、東京人の視点で心のふるさとと言っているように思ったからです。例えば倉敷について、ここを出て東京や海外で生活をしていたら、心のふるさととなるかもしれませんが、私たちにとってはふるさとではなくて、生活の場なのです。ですから心のふるさとを美しくしようというのではなく、日本人の生活の場を美しくしようということが基本だろうと思うのです。
 心のふるさとがキレイになったら良いではなくて、それが生活の場としてどんなに快適なものになるか、それが特に大事でだというのが、日本人というよりは地方の人たちの想いです。

  もう一つは「町づくりや・村づくりは人工的に町や村の『特色』や『魅力』を捏造することではない。町や村の歴史と佇まいの美しさを再発見することと、生活者がその『美しい場』での生活を楽しんでいることが大切です。しかし、これ実はキレイゴトで、楽しむことは大事なのですが、こういう美しい町で住むにはかなり我慢が要ります。便利ではないし、お金も儲からないし、冬は寒く夏は暑い。それでも我慢をしてそこに住もうという心意気が美しいまちを守っていると思 います。喜んで皆が我慢したからこそ達成できることです。その上で、その町や村が独自のメッセージを持っていたら一層素晴らしい。本格的なきちっとしたメッセージを持って観光資源になるのなら、お客様は集まるだろうと思いますし、それで持続可能なまちになってくると思います。写真
 最後に倉敷から訴えたいことを言います。流氷漂う北の海から黒潮踊る南の国まで、この美しく彩り豊かな国の全国各地の地方が、美しい生活を守り楽しむ余 裕を持ってはじめて、景観の荒廃は避けられる。それぞれに個性を持ちながらそれぞれに豊かでなければならない。美しい景観は、美しい生活によって守られます。但し、お金がなければ何もできません。今の地方の疲弊状態の中で、景観どころではないということがよくあります。美しい景観は美しい生活によって守られる。美しい生活をするためにはお金が要る。だから、もちろん都市の美醜は市民の心であると同時に、都市の美観は市民の財布であることも忘れないでください。

西村
 景観の問題だけではなくて、大きく地方の力が出てくる仕組みを考えなくてはならない。美しい景観は美しい生活によって守られる。美しい生活をするために は、しんどくて我慢が必要と言われましたが、自分達の生活がやはり美しいと思う美意識をもっているから、そういうしんどさを我慢できるということですか? そういう気持ちを持たないといけないということですか?
 もう一点、メッセージを守るために妥協をしなかったとおっしゃいましたね?それはやっぱりプロフェッショナルなレベルを保つとか、そういうことなのでしょうか?

大原
 200年前の家に住むことが不便ですし住みにくいです。だけど敢えてそれをやろうという気持ちになるのは、この美しさを自分が守りたいと思っているから。キレイゴトを言うかもしれませんが、そういう市民がたくさんいる町は美しい町になります。
 もう一点については、これは町でもそうですし、例えば私の美術館でも時の流行に左右されず妥協せずに自分の信念を貫くという美術館でありたいし、町自体もそういったものを守るというのは大事だと思います。

西村
 ありがとうございました。それでは浜さんです。浜さんは色々な農村へ行かれ、そういう土地の応援団として見られていると思いますので、そういう目でお話をしていただきたいと思います

 

浜美枝氏(女優、農政ジャーナリスト)写真

〈美しい日本の暮らしを守ることで景観が良くなる〉
  わたくしはなぜこんなに全国各地を訪ね歩いているのかと言いますと、中学生の時に民藝運動を推進しておりました柳宗悦の1冊の書籍との出会いからでした。「モノを作る人に美しいモノを作らせ、モノを使う人に美しいモノを選ばせ、この世を美の国にしよう」というフレーズを読んで感動しました。無名の工人のつくったモノに美がある。用の美ですね。そうしたことを学べば学ぶほど、日本はなんて美しい国なんだ、そんな日本を歩きたい、全国を旅したいと思ったのが 10代のことでした。それから宮本常一先生や佐野眞一さんの書籍にも惹かれました。宮本先生は俯瞰でモノを見なさい、先ずそこの土地、村に行ったら一番高い所 に登って見なさい。それから徐々に山を下りて集落に入っていくと、モノの本質が見えるとおっしゃっています。足元に文化あり、文化は足元から生まれる。どうぞ皆さんも歩いて見てください。

 

わたくしは全国を 40年にわたり旅してきましたが、高度経済成長期の時代に日本の美しい風景がどんどん壊されていく、そんな姿を目のあたりにした時代でもありました。茅葺の屋根がはずされ、チェーンソーで梁が切られ柱が倒されまさに木が悲鳴をあげているようなそんな時代でした。なぜこんなに美しい家を崩さなければいけないのだろうか?なぜこんなに美しい風景を壊さなければいけないのだろうか?とっても悲しかったです。

〈景観と風景〉
 民家の再生に取り組んだのは 35 年前です。今、ようやく時代は民家再生の時代になりました。大原さんが先ほど言われたとおり、農家の人が大きな家を守るということは、本当につらく大変なことです。でも、これが日本の文化、歴史、人々の営みだと思っています。ただ後ろを振り向いて良かったねというとこではなくて、そうした家々をどうしたら現代に活かせるか、和洋折衷でもいいじゃないか、そういった思いで箱根に住んで 30年が経ちます。近年になっては美しい村の風景をもう一度取り戻そうと住民が主体となった取り組みが、全国各地の集落、町、市で見られるようになり、行政と一緒に手を携えながら実践されており良かったと思います。
 私が紹介したい場所はたくさんありますが、今日は 3箇所紹介させてください。先ずは滋賀県の針江集落です。湧き水をひきこんだ川端(かばた)というものがほとんどの家に備えられていて生水(しょうず:湧き水)の里と言うに相応しい風景の美しさに心が澄み渡ったような気がしました。続いて飛騨市の旧宮川村にある「種蔵(たねくら)」です。板倉とも呼びますが、これは日本の宝だと思っております。住む家を壊しても板倉だけは壊すなという不文律が村には残されております。数百年にわたって板倉は村の精神的支柱になっております。  

「種蔵と棚田(旧宮川村)」

 最後に、私が密かに心の中で桃源郷と呼んでいる場所が岩手県の久慈市から三十分ほどのところにある山根六郷という小さな村です。非常に急峻な山があり僅かに開けた耕地に雑穀や麻や桑を植えて、雑穀文化の昔ながらの暮らしが営まれている村です。月に一度の市が立ち、2,000人もの人が訪れます。村人たちが作ったお餅、蕎麦、豆腐などを食べたくて集まってくるのです。それを頬張りながら、村の穏やかな風景を眺め豊かな自然を深呼吸して、村人達とのふれあいを楽しむわけです。
 つまり風通しのいい集落なんです。そのため集落の皆さんは生き生きと暮らされています。町の人と協力して炭小屋ですとか水車ですとか、町のかたが協力してこそ守られていきます。集落の大事な事は、風通しのいい町、村、人に寄り添うように風景に寄り添うようにお互いがコミュニケーションをとりながらいくということが大事だと思っています。僅か三箇所しか紹介できなかったのですが、わたしは日本というのは本当に美しい国だと思っています。そしてこの美しい、美の国を、柳宗悦のおっしゃった美しいものを作らせ、そして選ばせ、皆がお互いに美しいね、綺麗だねと声を掛け合えるようになったらこれが本物の美しい国づくりだと思っています。

 

西村
 風通しいのいい村が大事だとおっしゃったでしょ。村というのは保守的だったり因習があったりしますよね。そこの中で風通しをよくするというのは難しくはないですか?

 


 新潟の奥三面(おくみおもて)というところがありまして朝日村にあった集落がダム建設のために水没したのですが、そこに3年間22回訪れました。最初は玄関にもあげていただけません。話もしてくれません。それでも懲りずに何度も玄関からではなくて、勝手口から軒先からお邪魔させていただきながら、お話をうかがいながら、学ばせていただきながらお邪魔させていただくと少しずつ心を開いてくださる。いま、土足で入るような観光というものにわたしは危機感を抱 いています。閉鎖的といいますが、親しくなりますとそんなことはありません。人の心を閉鎖的と取るか、それを文化や歴史を守る暮らしと取るか、それはこちら側の問題であって、村が閉鎖的なわけではないのです。ですから村の人の問題ではなくて、我々外部の人間がどこかのまちづくり、むらづくり、美しい国づくりに対してどう関わるかということの方が大事なような気がいたします。

 

西村
 ありがとうございました。
セーラさんお待たせしました。お願いします。

 

セーラ・マリ・カミングス氏(株式会社桝一市村酒造場取締役)写真

〈皆で力を合わせてやれるところからやってみる〉
 日本は言葉の上では四季を大切にするといって、新緑とか強烈な緑の喜びだとか言いますが、残念ながらそういったものは生活の中には無くて遠い夢の国のようなことになってしまいました。
 樹木の伐採もそうですが、わざわざ山から運んできた貴重な石を捨ててしまって更地にして人に売ったりして、泣きたくなるようなことが信州で毎日のように起こっています。どうしてですか?と訊ねると、どうしようもない、仕方がない、どうせ駄目だと諦めている。だけど、仕方はあるんじゃないか、やればできるんじゃないか、やらなきゃできないにきまっている。やってみればできるだけのことはできる。たくさんのことはできないけど、やれることからやってみる。これが大切だと思っています。

 千曲川は泳げる川でしたが、今は汚くて泳げません。これからは一つの狭い村や町の単位で考えていくのではなく、長野県、新潟県、国土交通省、農林水産省、環境省などが力を合わせるという形が作られるなら泳げる千曲川を取り戻せると思います。古民家一つをとっても、立派な壁、立派な梁、立派な瓦葺の屋根やかやぶき屋根が壊されてチップにされる。これでいいのでしょうか?良くないからどうするか?できるだけのことをやってみようじゃないか。ここで、できない状況をどうやったらできるのかを考えなければならない。もっと良い方法があるのではないか、循環型社会が成り立つ仕組みを考えて行きたい。一人では変えることが難しいので、隣同士の連携が必要です。めんどうくさがらずに、お年寄りと若者が力を合わせてやっていくことを応援していきたいと考えております。

西村
 ありがとうございました。
 これで一巡しましたが、引き続きこれまでのお話の補足なりを、一言ずつ述べていただきたいと思います。

 

川端
〈これからはリバーシブル・リベロップメントの時代〉
 私は「リバーシブルディベロップメント」、「リバーシブルデザイン」という考え方を提唱しています。リバーシブルというのは可逆的、行ったり来たり。開発事業が一定の目的を達成した場合、またその価値を失った場合は元の姿に戻しても決して公共の利益を害さないというような考え方です。そしてそれを最初から組み込んでおいたらいいのではないか。これまでの公共機関の事業のみならず各企業の事業はほとんどバックギアは付いていない。勝手な言い分ですが、バックギアを付ければいいじゃないか。八幡堀は埋めて整地して駐車場を造る段階まで行ったのですが、バックギアを入れてもとに戻して、綺麗な姿にしてもらったのです。
 景観の保全は、現在の美しい景観を単に子孫に残すという消極的なものではなく、預かった景観を修繕して子孫へ返さなければならないという考えに立つべきで、修繕をして元の姿に戻してゆっくりと考えていくことが大事と思います。

 

大原
 新幹線から綺麗な茅葺き屋根が見えるところがあります。こういったものをどうやって守るのか国の見識が問われています。守ることは我慢することだといいましたが、現場の人だけが我慢したってだめなんです。東京の交通渋滞を解消することと、この茅葺きを守ることのどちらを大事にするかで国の風格が決まるといっても過言ではないと思います。東京は少々渋滞しても、あの茅葺きを守ろうじゃないか、あの種蔵を守ろうではないか、というようなことをお願いしたいと思います。

 

セーラ
 わたしはこの茅葺きを是非活かしたいと思っています。
 海外では昔の建物を保存する時には補助金は出ませんが税引きという仕組みがあります。もっと協力し合って一つになることが大事です。刈った萱を溜めながら、ボランティアや職人を育てなければいけません。オランダやアメリカではそういう茅葺を残すことに誇りを持っています。現代日本の地方事情を考えると、壊すにお金がかかるし、活かすのももっとお金がかかります。活かしたい気持ちがあっても十分に活かしきれない。我々は国からの協力を得て50年ぶりに燻瓦を焼いて小布施のまちなみの独自のものを活かそうと思っています。日本は変わらなくちゃ!


 いずれにせよ、日本の景観を良くするということは、美しい日本の暮らしをまず守ることだと思います。戦後私達は多くのものを手にしました。しかし多くの大切なものを取りこぼしてきました。モノとお金を必死で追い求め、取りこぼしてきた景観や暮らし。しかし、モノとお金があったら幸せだという時代ではないと思います。今大事なことは、当たり前のように我々の生活の中にある文化や自然の理にかなった習慣、四季の移ろいによって変化する日本の景観、尊くて人々の拠り所だったものを次世代の子供達に誇りをもって手渡していきたい。やるべきことはそれぞれ一人一人の国民にあるのではないのかと私は思います。

西村
 今ある環境や景観は預かりものなんだ、子供達に手渡すべきものだとの話しがありました。我々がやらなければならないことははっきりしているのではないか。セーラさんも変わらなきゃいけないと言われましたし、変わりつつあると思うんです。変わっていく、そういう暮らしを見つめ直さなければならないのじゃないか。宮本常一の話がでましたが、ああいう目を持って生活を見ていく。見識を持った人達が支えてくれて、日本のある水準を守ってきたという歴史があります。そうした中で我々の運動が文化的な運動として広がっていく必要があるのではないか。単に表彰したりするのではなくて、ここが出発点で次の世代に伝えて いくためにそれぞれの現場から考え共有し合いながら、夢を語れるようなディスカッションができればと思います。パネリストの方々に大きな拍手を。ありがとうございました。