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「日本の景観を良くする国民運動推進会議」2006年 全国大会
基調講演

 

 基調講演は、東京農業大学教授の進士五十八氏を講師にお招きし、「『美しい景観』から『いい風景』へ」をテーマに、お話をいただきました。
 同氏の約 40年にわたる造園学の研究や日本の景観行政に関わって来られた様々な体験を交えながら、美しい景観からいい風景の見方、創り方等について解説いただきました。

 

〈景観と風景〉
 まず、「美しい」と「いい」という言葉の対比、また「景観」と「風景」という言葉の対比を理解していただきたい。「景観」も「風景」も翻訳すれば、どち らも「ランドスケープ」となりますが、2つの言葉の持つイメージは随分違います。「風景」というと、なんとなく優しく感じられ、「原風景」や「心象風景」 などといったように心に深く関わってきます。しかし、「景観」というと科学的で普遍性とパブリックな感じがあって、行政が好んで使うことが多いのではない でしょうか。「美しい」と「「いい」という言葉の違い。それは、美女といい女(ひと)に近い。前者は姿形などビジュアル中心、後者はその人のキャリアや教養を加えた全人的評価のイメージです。だから私は美しい「景観」から始め、いい「風景」を目指したいと思っています。
 単に電柱を地下に埋没させればいいとか看板を抑制することだけが景観行政だとは思わないでほしい。景観を考えるということは、トータルに日本人の暮らしや文化をも考えること、当然地域の活性化も考えなければいけないと思います。  

 

進士五十八氏(東京農業大学教授)
写真

〈風景の見方〉
 風景の見方として大事なことは、まず全体を風景として味わうことです。全国の風景地をまわっていると美しい風景の前にとんでもない建物が建っていること がよくあります。戦後の日本において道路は道路だけ、河川は河川だけ、建物は建物だけを見て、開発、整備が行われた結果です。効率よく短期間で目的を達成 させるため、ある時期においては必要なことでした。しかし全体を風景として味わうことを忘れていました。
 景観は英語でランドスケープ。ランドは土地・自然、スケープは端から端まで見える範囲全部を言います。景観とはまさにこれであって、土地や自然を大事にすることと、全体で考えることの二つの意味が大切です。
景観の見え方や建物と風景の調和技術、屋根の角度等々色々な研究を私もやってまいりましたが、当たり前のことを当たり前に理解できるということが大事です。景観はあまり難しくしない方が良いと思います。
 例えば、この場所にはこれは良くて、これは良くないという一般常識がありますね。逆にこれを造りたいと思う時には、その造りたい建物をふさわしい場所に 造ればなんの問題もありません。困ったことに、このような常識を持ち合わせていないディベロッパーが建物を建てるから建築紛争が各地で起こるのです。決し て規制一辺倒ではない。

〈風景デザインは感性―ボランティアのまちづくり〉
 新しい世紀に入って、これからのまちづくりに必要なものは何か。その一つは感性です。モノの価値に気づく能力や感覚です。モノの価値には人の価値も、場 所の価値、土地の価値もあり、色々な価値があります。そういうものに気がついていないし考えてもいないので、どこかで造ったものを真似するケースが多々あ ります。たとえばオランダを真似た観光地長崎のハウステンボスは素晴らしい。技術やデザイン、材料も緻密で園内はとてもよく造り込まれ出来上がっていま す。しかし、ハウステンボスの裏側には、もともとオランダにないはずの長崎の山が見えてしまいます。園内と園外に違和感がある。要するに「らしく」ないの でケチをつけているわけではありません。感性とはそういうものを感じる能力です。そうすれば、その山をどう生かすかということに考えが及んでいくでしょ う。もう一つはボランティアです。自己実現を図るため自分自身のために頑張るのですが、これが実は社会貢献になっている。こういったことが相まって豊かな 環境を創るのが、風景づくりだと思っています。
 環境を感じるには、まず「目(eye)」に情報が入ります。レンズを通して風景、自然・人工物の色・形・大きさ等が頭に入っていく。この過程は誰にも共 通しています。次に、目に映ったものに過去の記憶や思い出が重なり、さらに教養が重なって立体的に環境を感じられることになります。ですから、たくさんの 経験や想い出のある人ほど風景の豊かさを味わうことができる。これがとても大事で、もっと子供たちに体験を与え、ある意味での教養をつけさせるべきです。 それを踏まえて、風景をデザインすることになります。守ることだけではなく、創っていくことも大切であり、これをあわせて「風景デザイン」と表現していま す。

〈風景における関係の原則〉
 風景や景観には絶対に正しいデザインというものはないということです。確かにいい建築を景観賞として表彰する動きが全国でやられています。しかし、私は 建築は建築賞でいいと思っています。周りの建物だとか町並みと合っているかどうかがポイントです。その建築と緑が調和しているか、町の雰囲気と合っている か、そういう関係性から建物を評価すべきで、それで初めて景観賞となります。そこに合うかどうかが大事であって、この形この色ならどこでも景観に良いとい うものはないのです。
 風景は図と地の関係でできているのは皆さんご存知だと思います。点景と背景でできている。ですから点景だけをデザインしても駄目なんです。緑という背景 を整えることが大切です。優れた建物が似合うのも優れた彫刻が似合うのも、背後にどれだけ豊かな緑があるかということを考えて欲しい。それから、林内には ログハウスが似合うが、海岸にログハウスは似合わない。自然イコールログハウスという発想で、どこにでもログハウスを造りますが、そんな湿度の高い海岸で ログハウスが良いわけがない。高原風景にならいいのですが。こういう当たり前の感性が、造る人たちにも発注する人たちにもなくなってきているのは残念で す。

〈風景における多様の統一の原則〉
 多様の統一と言って、色や形や大きさのいずれかを揃えれば良いというのが私の考えです。全部を揃えると退屈な風景になってしまいますから、これはいけま せん。全部バラバラというのも混乱していけません。つまり退屈と混乱の中間に調和状態があります。ですから、瓦だけそろえる、壁だけ白壁にしておく、周り を全部生垣で囲むとか、そういうことが大事です。とにもかくにも、一番簡単なのは材料で揃えることです。材料に関する感性がなくなりすぎてはいないか?こ れは材料を生産するプロダクト、その現場がどんどん合理化、機械化されてきて高度化されてきたせいかもしれませんが、もう一度材料に対する感覚を市民レベ ルで研ぎ澄ましたいものです。

〈風景づくりは理想世界の実現〉
 私達は一体何を目指して風景を創ってきたのか?アルカディア、パラダイス、パストラルなど理想社会を創る、理想環境を創ろうと欧米人も東洋人も考えてき ました。極楽浄土とか、桃源郷、エデンの園などですね。私はこれが目標だと思います。日本には日本の理想的風景があるべきです。田園地帯には谷戸が発達し てきめが細かく、小さな丘が重なってそこには沢が掘り込まれ、平たいところに行くと野川が広がっている。こういう風景のもとで風景デザインをするわけで す。日本は、ゴシック風やバロック風の都市づくりをやる場所ではありません。私達は何をもって良しとするのか。私達が風景を味わうとき尺度にしているの は、原風景性と緑の文化です。

〈風景づくりはアメニティづくり〉
 風景は、地質、地形、植生、水系、地理、歴史文化、気候が次々と重なって出来ています。ですから世界中、日本中同じ土地、同じ風景の場所は絶対にないは ずです。アメニティという言葉があるように、然るべきところに然るべきものがある状態を作っていく。実は風景づくりはアメニティづくりです。竹林征三先生 が「景観十年、風景百年、風土千年」と時間の重要性を書いておられます。とても大事なことです。我々は景観を創る、環境を創るとき、つい空間だけを見てし まう。時間の概念を忘れてしまいがちです。景観に時間軸を重ねる考え方をもっと日本人は重視すべきです。私はこれを「エイジングの美」と言っています。時 間と共に変化・成長し、自然に馴染んだ風景になるのです。時間と共に美に成長していく材料を使うこととが大切です。自然材料は基本的に全部そうです。

〈風景デザインにおける総合的アプローチの重要性〉
 中国を代表する観光地に「西湖十景」があります。この美しい風景は最初、洪水対策から始まった。堤防を造った人の名前から白楽天の「白堤」、蘇東坡の 造った堤を「蘇堤」といいます。中国の行政マンの多くは詩心と絵心を持っていなければなりませんでした。その教養が滲み出たのでしょう。洪水対策を洪水対 策としてだけ考えるのではなくて、それが、究極の名画になり、名勝になるぐらいのことを考えたのです。西湖では洪水対策、交通対策、緑化対策、景観演出を 重ねて素晴らしい風景に成長させたのです。いま、直面する問題だけを対症療法的に解決するのではなく、まさに長期的な夢と展望を持って風景を創っていくと いうこと、総合的アプローチが大事だということです。

〈風景づくりの要諦は市民一人一人が景観を常識化すること〉
 立地や地形や敷地を生かすとか、建物や生垣を揃えるとか自然材料を使うとか生き物にも配慮するとか、農林業や歴史文化との協調を考えるとか色々ありま す。ただ大切なことは、特別に難しく考えたり、細かいことを言っても駄目なんです。多くの市民、国民の常識を大切にすることなのです。それで、いい標本が あります。「私のお家も景色のひとつ」という標語です。私の家も景色の一つなんだから、まわりの景色を良くするように作ろうと考えることです。また、「都 市の美醜は市民の心」という標語も選ばれています。プロダクトデザインは絶対的に美しいモノと醜いモノがあると考えるかもしれませんが、風景のデザインは その土地を生かすとか自然材料を使うとか工夫さえすれば特別なことは必要ないと私は思っています。
 国交省には景観室もできましたし、そこで景観教育の検討会も始まりました。一番大事なことは市民一人一人の景観常識が高まることだと思います。ご清聴ありがとうございました。